母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話④

※この記事は2016年8月24日に別サイトにて公開したものです。

※また、この記事は前回の続きとなりますので、「母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話①」(https://ebiebilove35.hatenablog.com/entry/2019/03/12/133813)からお読みいただけたら幸いです。

 

長かった受験期に別れを告げ、私は晴れて自由の身となった。

 

もう、我慢しなくていいんだ。

 

一日中アイドル雑誌を読み漁っても、Twittterで、目が痛くなるまでA.B.C-Zのことを調べても、昔、嵐目的で録画保存してあった音楽番組に、A.B.C-Zが出演していたりしないか、しらみつぶしに探してもいいんだ。

 

就寝前、時間を忘れてA.B.C-Zに浸りすぎてしまい、気付けば3時になっていたって、罪悪感を感じることはないんだ。

 

未購入のA.B.C-ZのDVDやCDを大人買いして一気に観ても、誰にも咎められないんだ。

 

 

そんな、夢にまでみた受験後の春休みを迎えた私が、一番最初にしたことは「ワーホリ一気見」だった。

 

「えっ!?受験前に観終えてたんじゃないの!?」

 

そう思った方もいらっしゃるだろう。

その通り。前にも述べたが、ワーホリは受験前にすべて観終えていた。

 

では、なぜこの「何でもし放題」、「まだ見ぬA.B.C-Zをお迎えし放題」な時期に、一番初めにすることとして、「もう一度ワーホリを観ること」を選んだか。

 

もちろん、「一気に観るのが夢だったんだ!」という私自身の気持ちも原因の一つではあったが、そこにはもう一つ理由があった。

 

【episode4 ワーホリは凄かった②】

前回お話した通り、私と母は「私の受験勉強の息抜きとして、ワーホリを一日に一日分観る生活」から、「朝昼晩の食事時に少しずつ再生することで、一日にトータルでディスク一枚分観る生活」に切り替えたのであったが、そうなると不利益を被る人物がいた。

 

父である。

 

仕事を終え帰宅し、家でゆっくり夕食をとろうと思ったら、妻と娘が見知らぬ番組を観ている。仕方なく、自分もしぶしぶ観る。

 

「なかなか面白いじゃないか」

 

そう感じたころ、妻が急に停止ボタンを押す。さらに、次の夕食時には自分の観ていた場面の続きではなく、別の場面が再生される。そんなことが毎日続くのだ。さすがに

 

「パパもちゃんと観たい!!(涙)」

 

こうなるだろう。

 

このような理由から、今度は家族三人で再びワーホリを観始めたのだったが、このおかげで私は、ワーホリ氏の本当の凄さを思い知ることになるのだ。

 

※会話の部分は  母  で色分けしております。

 

「へ~、こういうふうに始まったんだ。」

 

「そうなのよ~、結構面白いよ」

 

「塚ちゃん大変じゃない!?一人でずっと運転してるのかい!」

 

「ね~!偉いよね。」

 

(ふむ…、これは母の心情を確認する良い機会だな…。)

 

「この子が、とっちぃ~だっけ?」

 

「うん、とっつーね。」


「あれ。後藤いるな。」

 

河合郁人ね(笑)」

 

「五関って踊り上手い子だよね?」

 

「そうだよ。」

 

 

両親の会話に耳を傾け、(パパ意外と詳しいな…)なんて思っていたら、ついに父が、母の「一番好みじゃない」彼に着目した。

 

「橋本喋らんな」

 

(まずい…!!母はまだはっしーを苦手としているはず!!私がフォローを入れておくか…!?)

 

私が焦って口を開こうとしたその時だった。

 

「いや、この子大人しくしてるけどそこが可愛いんだよ。年上の四人を、様子を伺いつつ見てる感じでさ。キャンピングカーで真ん中にちょこんと座ってるのも可愛いじゃない。しかもめっちゃいい子。」

 

 

 

エ━━━━━(;゚д゚)━━━━━!?

 

あなた…橋本くんは一番好みじゃないって言ってたじゃないですか…。私と二人でワーホリ見てた時、まったく橋本くんについてコメントしなかったのはなんだったんですか…。

 

そう。母は、私の知らぬ間に、橋本良亮に魅了されていたのだ。

 

母の勢いは止まらなかった。

 

「ほら!このシーン見てて!はっしー可愛いから!」

 

「ねぇ、今の聞いた?めっちゃいい子!」

 

いや…だからなんで一度目の視聴時に言わなかったのそれ…!?

 

 

後になって聞いてみたところ、「あの時ははっしーを可愛いと思ってる自分を認めたくなかったの!」とのことだった。

 

いやはやワーホリ氏の底知れぬ威力、恐るべし。

 

こうして私は、母を「A.B.C-Zメンバー全員そこそこ好きよ」くらいの状態にまでもっていくことに成功した。

 

とはいっても、母はこのとき「パフォーマンスには興味ない」などと言っており、ファンと言うには程遠い状態だったが。

 

私自身は「これでママとA.B.C-Zの話は出来るし、これから徐々にパフォーマンスにも興味を持ってもらえればいいよね」くらいに思っており、状況にはまずまず満足していた。

 

しかし、母はこのあと転げ落ちるみたいに加速して、橋本良亮にハマっていくのである。

 

〝あること"をきっかけに。

 

 

母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話⑤に続く。

 

 

母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話③

※この記事は2016年8月23日に別サイトにて公開したものです。

※また、この記事は前回の続きとなりますので、「母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話①」(https://ebiebilove35.hatenablog.com/entry/2019/03/12/133813)からお読みいただけたら幸いです。

 

前回、母が受験生である私を気遣い、息抜きとして「A.B.C-Z オーストラリア縦断 資金0円 ワーホリの旅」を一日にディスク一枚分ずつ再生してくれたことを述べた。母がそうしてくれなければ、自分に負けて全編一気に観てしまっていてもおかしくなかったと思う。

 

しかし、このブログの読者の皆様の中には、こう思った方もいるのではないだろうか。

 

「ディスク1枚分って、長くない?(笑)」

 

その通り。ディスク1枚分まともに観たら、一時間半ほどは時間をとられるのだ。A.B.C-Zがワーホリの旅を行っていた期間は九日間。ディスク一枚に数日分が収録されているのだから、一日分ずつ観ればよかったのでは?と思う方もいるだろう。

 

実は、最初はそうしていたのだ。一日に一日分。そうすれば30分ほどになるので、勉強の息抜きにはちょうどいいだろう、と。

 

では、なぜディスク一枚分観るようになったのか。私が「もう少し観ようよ~」などと言ったのではない。実は、他に延長を希望した人物が存在するのだ。

 

 

母である。

 

【episode3 ワーホリは凄かった①】

ワーホリを観始める一か月ほど前、私が「A.B.C-Z Early summer concert」を観ていた際は興味がなさそうにしていた母であったが、ワーホリに関しては、初めから私と肩を並べて楽しそうに観ていた。

 

もっとも、母は『A.B.C-Zの番組』としてではなく、『何やら面白そうなバラエティ番組』としてワーホリを観始めたのだろうが、それでも私は、母とA.B.C-Zの良さを共有できるのが嬉しかった。

 

一日分を観終えたら、母が「はい、今日は終わり」と停止ボタンを押してくれるので、二次試験間近ではあったが、私自身も罪悪感を持つことなく、純粋に息抜きとしてその時間を楽しむことが出来た。

 

「はっはは、郁人口じゃなくて手を動かしなさいよ~」

 

「塚ちゃん、嫌な顔一つせずにずっと運転してて偉いね~」

 

母が何か言うたび、私はその発言を敏感にチェックしていたのだが、やはり「一番好みじゃない」と言っていただけあって、橋本良亮に関してのコメントはほとんどなかった。

 

(う~ん…。母がはっしーに興味を持つまでには、かなり時間がかかりそうだ…。)

 

私のこの見解が、まるっきり誤っていたことにはいずれ触れるとして、「一日に一日分」の生活が三日目に入ったころだったと思う。母に異変が起こった。

 

その日も、前二日同様「一日分」を観終えた私は、いつも通り母の「はい、今日は終わり」を合図に自室に戻るはずだった。しかし、お決まりの台詞は聞こえてこなかった。

 

(あれ?一日分終わったことに気付いてないのかな?)

 

そう思った私が母の方を見ると、母はリモコンをにぎりしめたまま、じっと私の方を見ていた。

 

「何?(笑)」

 

「ねえ…、とめる?(笑)」

 

「どういうこと?」

 

「もうちょっと観ない?(笑)」

 

Σ(゚ロ゚;)

 

そう、母は、私の予想以上にワーホリにハマっていたのである。

 

「ごめんごめん、受験生だもんね。とめないとね。」

 

「いや、そしたら毎日ご飯の時間に観よう!そしたら朝昼晩合わせてディスク一枚分くらいの時間になるからちょうど良いはず!(笑)

 

こうして私と母は、「一日に一日分」ではなく、「一日に一枚分」の生活を送ることとなったのである。

 

ワーホリは、驚異的な速さで母とA.B.C-Zの間の壁を壊していった。

 

母に見られた変化としては、まず、私がA.B.C-Zの話をしても嫌な顔をしなくなった。それどころか、母からA.B.C-Z関連の話題を振ってくることも増えた。

 

また、以前は私が車内でA.B.C-Zの曲を流すと、「またこれかよ」という顔をし、必ず私がいない間に嵐の曲に変えていた母であったが、徐々に「えびのあの曲が聴きたい」などと言うようになった。車内では、当然のようにA.B.C-Zの曲が流れるようになった。

 

「母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話②」でも示した通り、受験が終わるまでの目標は「じわじわと(あくまで意識的でない感じで)曲を聞かせ、チャンスがあれば短めの動画を見せたりし、母の中に出来る限りのA.B.C-Z受容体を完成させておくこと」だった。まさか受験を終える前にここまで状況が良くなると思っていなかった私は、ワーホリの持つ威力にかなり驚いていた。

 

しかし、ワーホリの凄さはこんなもんじゃなかった。ワーホリ氏は、私の気づかないうちに、とんでもない偉業を成し遂げていたのだ。

 

 

母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話④に続く。

母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話②

※この記事は2016年8月21日に別サイトにて公開したものです。

※また、この記事は前回の続きとなりますので、「母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話①」(https://ebiebilove35.hatenablog.com/entry/2019/03/12/133813)からお読みいただけたら幸いです。


母が河合郁人のみを許容していることを知った私は、次のような作戦を立てた。

 

①受験が終わるまでは、じわじわと(あくまで意識的でない感じで)曲を聞かせ、チャンスがあれば短めの動画を見せたりし、出来る限りの受容体を完成させておく。

②受験が終わり次第、バラエティ番組等、馴染み易い動画を見せ、メンバーそれぞれの魅力を伝える。

(ちなみにこの時点では、私自身もメンバーそれぞれの本当の魅力に気付いていなかった。)

③その後、畳みかけるようにMVやコンサート映像を見せ、一気にゴール

 

「完璧だ…。」

 

作戦通り、焦らず着実に作戦①を実践し、なんとか母に「とっつーも可愛いね。」と言わしめるところまで到達した私だったが、あるとき失態を犯すこととなる。

 

【episode2 コンサートDVD二本立て事件】

 

センター試験翌日。

この日だけは、一秒たりとも勉強をせず息抜きに使おうと、前々から決めていた。

私にとって、その貴重な一日をどう過ごすかなど、考えるまでもないことだった。

 

「我慢していたライブDVDを一気に観てやる…!!」

 

このとき手元には、未開封のライブDVDが2本あった。

A.B.C-Z Early summer concert」そして「ARASHI BLAST in Miyagi」である。

 

A.B.C-Zのコンサート映像をしっかりとは見たことがなかった私は、一本目に「A.B.C-Z Early summer concert」を選んだ。私が目をハートにし、キャーキャー言いながら映像を観ている間、興味がなさそうにしていた母だったが、河合郁人くんと戸塚祥太くんのソロ曲の時だけは、ちゃっかりTVの前に座って

 

「あっはは、郁人面白いわ(笑)」

 

やら

 

「とっつー、叫んでる~」

 

やら言いながら楽しそうに見ていた。このとき私は、彼らの想像以上の格好良さや、パフォーマンスのレベルの高さに夢中で、正直作戦のことなど忘れていた。母に「河合くんと戸塚くん」だけでなく「A.B.C-Zの」良さを知ってもらう良いチャンスであったにも関わらず、能天気に

 

「あら、お母さんも楽しんでるじゃないの~」

 

なんて思っていた。このとき私の頭に少しでも作戦のことが残っていたなら、母はもう少し早くA.B.C-Zを好きになっていたかもしれない。しかし、残念ながら微塵も残ってなかったのだ。

 

しかし、先に「失態」と述べたのは、このことではない。(このことだけではない、と言った方が正しいか。)

事件が起こったのは「A.B.C-Z Early summer concert」の視聴を終え、「ARASHI BLAST in Miyagi」をデッキに入れた後だった。

 

繰り返しになるが、長年私と共に嵐を応援してきた母は、一曲目が始まると同時に私の隣に腰かけ、映像を見始めた。

 

中盤になって、

 

「う~ん、やっぱり嵐は格好良いね」

 

と、母が呟いたとき、嫌な予感がした。いや、もちろん嵐は格好良いのだが。なんだかその言葉に、それ以上の意味が込められている気がしたのだ。

 

そして、その予感は的中した。

終盤、感動的な内容になり、私が涙を浮かべて嵐のメンバーの紡ぎだす言葉に耳を傾けていた時だった。

 

「やっぱり私は嵐の方が好きだわ~。A.B.C-Zはいいかな。」

 

ド━(゚Д゚)━ン!!


私は「それはないっスよおっかさん」と思ったが、母は「A.B.C-Z Early summer concert」を賞味10分程度(ソロ曲×2)しか観ていなかったうえ、11月に嵐のライブに行って以来、約2か月ぶりに嵐がステージ上でキラキラ輝く姿を観たのだ。嵐への愛を再確認しても仕方がなかった。

 

私は、母にA.B.C-Zの良さをPRし損ねただけでなく、彼女を完全に嵐ファンに引き戻してしまったのだ。

 

「母がA.B.C-Zファンになること」を山頂として登山に例えると、3合目くらいまでは差し掛かっていたように思われたが、この事件によって一気に1合目まで戻ってしまった。感覚的にはそういった感じだった。

 

 

その翌日から、私は二次試験に向けた勉強に取り組みだした。この時期になると学校の授業もなくなるため、塾に通っていなかった私は、自宅に籠ってひたすら一人きりで勉強するだけの日々を送っていた。

 

A.B.C-Zへのドアを開けたらそこは天国だった」

http://ameblo.jp/ebiebilove35/entry-12191929308.html)でも触れたが、私はそんな日々の癒しとするべく、就寝前2時間を「嵐とA.B.C-Zに浸る時間」として確保しており、この時間を使って細々とA.B.C-Zについて勉強していた。

 

そんなある日、一人のA.B.C-Zファンの方のツイートにより「A.B.C-Z オーストラリア縦断 資金0円 ワーホリの旅」の存在を知った。

 

「なんだこれは!!!めっちゃくちゃ面白そう!!!」

 

(このとき私と「ワーホリ」を出会わせてくれた方がどなたであったかは、残念ながら覚えていない。もし今その方にお会いできるのなら、心の底からお礼を申し上げたい。)

 

とにかく大興奮した私は、鼻息を荒くして母のもとに行き、「母をA.B.C-Zファンにする」登山が1合目に戻っていたことなどお構いなしで騒ぎ散らした。

 

「ねぇ!!!こんな素晴らしい番組が過去に放送されてたんだって!!!めちゃくちゃ観たくない!?!?!?(大興奮)」

 

私は、最後まで丁寧に(?)騒ぎ散らし終えてから、母の表情を見てハッとした。そして、「別に見たくない」と返されることを覚悟した。しかし、母の返事は意外なものだった。

 

「へ~、面白そう。観てみたいね。」

 

(あら…???)

 

興味深々で 「ワーホリの旅」の公式サイトを眺める母の姿が、とても嬉しかったのを覚えている。しかしその数日後、更に嬉しいことが起こる。

 

「受験後の楽しみになるように」と、母が「ワーホリの旅」のDVDボックスを買い与えてくれたのだ。これは、「受験後の楽しみ」としてではなく、「受験直前の精神安定剤」として、私を支えてくれることとなった。受験を目前にして緊張で眠れなくなってしまった私を気遣い、母が一日にディスク一枚分ずつ再生してくれたためである。

 

私にとって「A.B.C-Z オーストラリア縦断 資金0円 ワーホリの旅」は、受験期を支え、A.B.C-Zの魅力や、メンバーそれぞれの魅力、メンバー同士の関係性など、さまざまなことを教えてくれた「特別な存在」となった。

 

そして、母にとってもまた、「ワーホリの旅」は特別な存在となるのである。

 

 

母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話③に続く

(次回、急展開!!)

 

母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話①

 ※この記事は、2016年8月21日に別サイトにて公開したものです。
 
今でこそ、毎週ABChanZooを心待ちにし、私と一緒にA.B.C-Zのコンサートに行くほどA.B.C-Zが大好きな母であるが、私がA.B.C-Zに惹かれだした頃は、とても嫌そうな顔をしていた。
 
私がA.B.C-Zの話をするたび、母は眉をひそめた。私と共に長年嵐を応援し、「嵐しか見えない!」と言い続ける私を間近で見てきた母にとって、私が別のグループを好きになる様子は受け入れ難いものだったのだと思う。
 
私が「Za ABC~5stars~」、「ずっとLOVE」を購入し視聴していた際は、釘付けになって一緒に観ていた母だったが、視聴後しばらくして
 
「DVDは良かったし、●●(私の名前)がA.B.C-Zを好きなのは良いと思うけど、私はそこまで興味持てなかったから、あまりA.B.C-Zの話とかしすぎないでね。」
 
と告げてきた。文字にすると冷たく見えるかもしれないが、好きになったら一直線で、「♪寝ても覚めても 君のこと好きで好きで」となってしまいがちな私。口を開けばA.B.C-Zのこと、となりかねないので、そう忠告されても仕方なかった。
 
そう言われた私は、しばらく一人きりでA.B.C-Zのことを調べたり、曲を聴いたりと楽しんでいたのだが、先に述べた性格を持つ私である。いつかは自分が母にA.B.C-Zへの愛を語ってしまうことは目に見えていた。よって、どうにかして母にA.B.C-Zを好きになってもらう必要があった。
 
そう、これは私が母という一人のA.B.C-Zファンを誕生させた話である。
 
ここまでの部分で、この時期の私は既にA.B.C-Zにかなり惚れ込んでいたように思われるかもしれないが、実際のところはまだ嵐ファンである自分とA.B.C-Zに惹かれている自分の間で揺れ、かなり複雑な心境だったことをことわっておきたい。これについてはいずれまた別の記事でお話ししたいとも思っている。
 
「母をA.B.C-Zファンにする」
そう決心したは良いが、当時受験生だった私にそこまでの時間の余裕はなく、「受験が終わったら、一緒にA.B.C-ZのDVDを見たり出来るようになったら良いな~」くらいに思っていた。
 
しかし、チャンスは突然やってきた。
 
【episode1 未来は明るいかい?】
(※突然文体が変わります。ご注意ください。)
受験勉強で部屋に一人で籠っていることに耐えられなくなり、居間で勉強していた時期があった。そんなある日、集中力が切れ、息抜きにとシャッフルで再生したi podから「未来は明るいかい?」が流れ出した。
一曲聴き終えたとき、普段私がA.B.C-Zの曲を流しても意識して聴いている様子のなかった母がこう言ったのを、私は聞き逃さなかった。
 
「何、この曲?めちゃくちゃ面白い(笑)」
 
(何ッ…!?突然の好反応ッ…!?郁人くんをPRすべきか…!!いや、ここで私が語りすぎると、母はうんざりして引いていってしまうかもしれない…敢えて冷静に…)
 
『でしょ?河合郁人くんのソロ曲だよ。』
 
「へー、歌上手いんだね」
 
(キタ!!好反応!!もう少し攻めてみるか…?)
 
『これ、郁人くんが歌詞書いてるんだよ~。』
 
「ほぉ~、なかなかセンスあるね~。歌声も結構好きかも。」

(よっしゃぁぁぁぁぁぁ!!!!!掴んだッ!!!(何を))
 
~~~~~~~~~~~~~~
この日を境に、母はA.B.C-Zの曲に興味を示すようになった。

「結構良い曲多いよね~」
と言っているのを聞いた時は、心で大きくガッツポーズをした。
しかし、ここで喜ぶのはまだ早かった。
 
「そろそろ母もA.B.C-Zを好きになってきただろうか」
そう感じた頃に、五人それぞれに対する母のコメントを聞いてみたところ、こう返ってきたのである。
 
河合郁人→面白いし、歌も上手い。顔も可愛い。
戸塚祥太→見るたびに顔が違って覚えられない(おそらく髪型の変化が原因)
塚田僚一→好みじゃない
五関晃一→好みじゃない
橋本良亮→一番好みじゃない。(息子ともいえるほどの年齢差も原因だったと思う)
 
そう、母は河合郁人しか許容していなかったのだ。
まだまだゴールへの道のりは長いと感じ、私は長期戦を覚悟した。
 
このときは、意外にもあっさりゴールに辿り着いてしまうことなど、想像もしていなかった。

 
母が、「一番好みじゃな」かったはずの橋本良亮のうちわを持ち、A.B.C-Zのコンサートに行く日がくることも。
 
 
「母をメクルメクA.B.C-Zの世界に引きずり込んだ話②」に続く。

A.B.C-Zへのドアを開けたらそこは天国だった。

※この記事は、2016年8月20日に別サイトにて公開したものです。

 

高3の受験期、私は1日のほとんどの時間を机に向かって過ごし、ほぼずっと家に籠りきりの日々を送っていたため、精神的にかなり疲れ切っていた。

当時嵐のみを担当グループとしていた私は、毎日就寝前の2時間だけ(と言ってもかなり長いと感じる方もいるだろうが、私にはこれが限界だった)嵐に浸ってもよいと決め、日々生き延びていた。

 

いつものごとく、某動画サイトYで「嵐」やら「松本潤」やらのワードで動画を漁っていたところ、関連動画の中になにやら気になるものを発見した。

 

河合郁人 松本潤モノマネ」

 

大袈裟かもしれないが、これが私の人生を変えた瞬間だった。

 

特に意識もせず、動画を発見した次の瞬間には、自然と指がその動画の視聴画面を開いていた。

 

「へぇ~!似てる!めっちゃ似てる!!(笑)」

 

動画の中の「河合郁人」なる人物は、かなり激しく動いており、顔はよく見えなかったので、視聴後の感想はモノマネに対する評価のみだった。しかし、その後就寝時間が来て、眠りにつこうとするも、頭から「河合郁人」の存在は消えなかった。どうしても彼のことが知りたいという感情が抑えきれなくなった私は、ここから二時間ほど「河合郁人」について調べることとなる。

 

「へぇ~なかなか格好良い」

「ジャニオタなのね」

「後藤さんに似てる?」

「歌上手いのね」

A.B.C-Zの人なんだ?前に一回歌ってるところ見たな…」

 

河合郁人」のみを認識し、なぜここまで「河合郁人」のことが気になるのかもわからないままに情報を得ようと必死になっていた私は、まだ「彼の所属するグループ」に関心を持つには至らなかったが、「A.B.C-Z」という名前は頭の片隅に残ったのであった。

 

 

この日からわずか3日ほど経った晴れた日だったと思う。私は「受験勉強のお供」とすべくCDを借りに、レンタルCDショップに行った。このときは確か、ジブリサウンドトラックを借りに行ったのだったが、目的のCDを探している途中にたまたま「A.B.C-Z」のアルバムを見つけた。

 

A.B.C-Zって、河合郁人くんのグループだったよな…」

 

そう思ったが先か、気付いた時には「from ABC to Z」と「A.B.Sea Market」を手に取っていた。母に「え?なんで急にA.B.C-Z?」と言われたのを覚えている。

 

レンタルビデオショップを出ようとしたその時、もう一つの決定的な出会いが私を待ち受けていた。

 

出口付近にある中古DVDコーナーを何となく眺めた私の目に飛び込んだ「A.B.C-Z」の文字。

「Za ABC~5Stars~」と「ずっとLOVE」が1,000円ほどで売り出されていたのだ。

 

「なんだかA.B.C-Zに縁があるな…(笑)」

 

今なら何が何でも新品を定価で購入するのだが、何せこの頃はA.B.C-Zファンとしての人生に足、いや、つま先も踏み入れてなかったのだ。軽率に購入した私を、どうか許してほしい。

 

何はともあれ、二本のDVDと二枚のアルバムを抱えて帰宅した私は、すぐさま「Za ABC~5Stars~」をデッキに入れ再生した。

 

「勉強しないとだし、とりあえずMVだけ♪」

 

…のはずだった。しかし気が付くと、メイキング映像、あろうことか、ずっとLOVEまで観終えてたのだ。無関心だった母、そして父までもがTVにかじりついて映像を観ていた。

 

そこには未知の世界が広がっていた。

目が離せなくなるようなワンカメSHOWに、想像もしていなかったレベルのアクロバット、そして、それまで出会わなかったことを後悔するほどの楽曲の良さ。

もっと彼らの曲が聴きたいと思った私は、あっという間に二枚のアルバムを聴き終えた。

 

「もしかして、めちゃくちゃ好きになっちゃうかもしれない。」

 

はっきりそう思った。

(10年ほど嵐を応援し続けた私がこの気持ちを認められるようになるのは、もう少し先の話なのだが。)

 

思えば、偶然出会った二枚のDVDのうち一枚がデビュー曲だったこと、そしてもう一枚にコントが収録されていたために、彼らの色々な表情を見られたことは、かなり大きかった。

 

それからの就寝前の二時間は、徐々にA.B.C-Zで埋まっていった。

途中嵐のコンサートに行き、「やっぱり嵐!」と思ったり、受験前ということで嵐の「サクラ咲ケ」だけを狂ったように聴いた時期もあったが、A.B.C-Zは着実に私の生活の一部になっていった。

 

ジャニーズカウントダウンのコラボ企画では当然のように「河合郁人×松本潤」に投票したし、ABChanZOOと少クラは毎週録画するようになった。

メール会員にも登録したし、「勉強の励みになるように」と受験後の楽しみとして、母がワーホリを買い与えてくれたりもした。

(これは結局、受験を目前にして緊張で何も手につかなくなり、眠れなくなった私を気遣い、リフレッシュになるようにと母が一日にディスク1枚ずつ再生してくれたため、受験前に観終えてしまったのだが(笑))

 

そしてこのワーホリを観終え、一人ひとりの人間性、そしてメンバー同士の関係性を知った私は、もう自分自身がA.B.C-Zファンであることを認めざるを得ないほど、A.B.C-Zに惚れ込んでしまっていたのである。

 

A.B.C-Zは、確実に辛い受験期を支えてくれた存在であったし、これからもこの五人が自分を支えてくれる気がする。

 

無事に受験を終えた私は確かにこう感じていた。

 

 

その後、転げ落ちるみたいに加速して、それまでにリリースされていたCDやDVDを買い集めた。こうして私はA.B.C-Zファンの一員となったのである。

 

たくさんの奇跡が重なり、自分は導かれるようにA.B.C-Zに惹かれていった。

 

たった一人の女の子が、あるアイドルを好きになった。

 

それはありふれた普通のことかもしれないが、私にとってはなんだかドラマチックな出来事のように感じ、文章の形で残しておきたくなった。これは、ブログを始めた理由でもある。

 

拙い文章ではあるが、この文章を読んだ人が、大好きなものと出会ったときの事を思い出すきっかけにでもなれば幸いである。